西島三重子FanClub 「風」物語
第6話 荒木さんの脱退〜事務局の移転


 その後、スタッフ3人でやってきた。
 みーちゃん自身の活動は少なくなっていたが、何とか材料をさがし出し、
会報も数回発行した。
 時には、みーちゃんの生まれ育った新井薬師周辺を歩き回ったり、歌に
歌われている千登勢橋や池上線沿線を取材したりした。池上線沿線では、
その名もずばり「池上線」というスナック(昼は喫茶店)も訪ねた(何とその
店のオーナーはみーちゃんファンで、みーちゃんも訪ねたことがあるという)
車で鬼無里、館山を訪ね、写真を会報に載せたこともある。

 92年、会長の荒木さんが突然「風」を脱退してしまった。退会の意志表示
があった訳ではないので、単に離れて行ったという方がよいかもしれない。
 電話をしても出ない。葉書を出しても返事なし。反応がなくなってしまった
のだ。そこで、何とか直接会って事情を聞こうと、井上さんと彼のアパートま
で訪ねてみたが、居留守状態。これは拒否と受け取らざるをえなかった。
 理由はというと、結局、本当のことは何もわからなかった。心境の変化な
のか? 何かあったことだけは確かだと思うが……。
 荒木さんの離脱は我々にとって本当にショックだった。
 彼も人一倍熱心なみーちゃんのファンで、レコードが出た際は保存盤とし
て必ず1枚余計に購入するという念の入りようには驚かされたものだ。みー
ちゃんも「荒木君、荒木君」と呼んで可愛がっていた。それだけにやめること
は信じられず、全く寝耳に水だった。正直、これから2人でどうしてよいかわ
からなかった。
 後日、私の留守の間を見計らったのかのように、事務局(荒木さんの部屋)
にあった、今までの「風」の資料全てがダンボール箱に詰めこまれ私のアパ
ートの庭に置いてあった。おそらく車で夜中に来たのだろう。その箱の中身
を見た時、私は、ああ、これは彼なりに清算しようとしたしたのだと察し、残
念だが、もう説得することを断念した。
 東大和市の「風」事務局はもう使えなくなったので、とりあえず事務局を私
の住所(東京・杉並区)に移転し、他の細かい諸手続きも完了させた。
 「風」の大黒柱を失ってしまったが、だからといってこのままFCを衰退させ
るわけにはいかないと、心を切り替えた。
第7話 東芝EMIへ直訴状



 み−ちゃんが東芝EMIへ移籍したあとは順調に年1回の割合でアルバム
(LP)を発表していたが、88年2月に出した「想いのとどく日」以後、それも
パッタリ止まってしまった。その間、91年11月に、NHKラジオ「はつらつス
タジオ505」で歌われたシングルCD「かもめよりも遠くへ(C/W「少年の日
の海」)」が出るには出たが……。
 東芝EMI側としても、商売だから売れる見込みがなければ出すわけには
いかない、損を出したくない、ということぐらいは十分理解できる。ただ、売
り込みに努力しているとはどうしても思えなかった。まだテイチクの方が力
を入れていたように思う。
 東芝EMIとしても、DAMレコ−ド(第一家庭電器)として5年間にアルバム
を3枚も出したが、これは第一家電がスポンサ−になったからそれに乗った
だけであって、東芝EMI自身が単に待ちの姿勢ではいかなるものか、そう思
えてならなかった。
 以前、みーちゃんとのミーティングで、CDを出しても宣伝にお金がかけら
れない、と聞いたことがある。確かにCD発売しても、宣伝もせず、その事実
を知らしめなくてどうして売れよう。ただCD売り場に置いただけで売れるほ
ど甘くはないのである。現在は歌そのものの良し悪しに関係なく、宣伝力に
よってのみ売り上げが左右される、そういう時代なのだが……。
 と、かねがね東芝EMIの方針に疑問を抱いていたので、思い余って邦楽部
長平形氏に、以上の事柄を質問という形にして直訴状を送ったことがある。
 返事は期待していなかったが、後日、短い回答書らしきものが送られてき
た。その内容はというと、
「貴殿の主張は十分理解できるが、これは社内の事情によるもの云々……」
と書いてあるのみ。予想していた通りの答えではあったが、がっかりしてしま
った。

 そうこうするうち東芝EMIから、西島三重子のマネージャーとして新たに河野
昌二さんという方が担当になった、という連絡があった。早速、赤坂・東芝EMI
本社に挨拶に出かけた。
 当時、河野さんは東芝EMIの子会社「TOEMIミュージックオフィス」に所属し
ていた。今後、みーちゃんもそこに移籍し、元NHKのうたのおねえさん「しゅう
さえこ」さんと2人担当するという。我々は、みーちゃんのそれまでの足跡を詳
しく、訴えるがごとく説明した。少なくとも、我々ファンの熱意は理解していただ
いたと思う。
 それまでマネージャーらしき人は存在しなかったので、これは大きなニュー
スだった。これがきっかけになり、みーちゃんの音楽活動が活発になる、と我
々は大いに喜んだ。
 その後、河野さんは定年を迎え、TOEMIミュージックオフィスを退職。みーち
ゃん、しゅうさえこさんとともに「アオイスタジオ」に転籍となり、現在に至ってい
る。
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