橋元淳一郎の月例報告50回目、2004年7月分 
●7月1日(木)
 朝から電車で出校。
 4回生ゼミの写真撮影。前期も実質終わりなので、ゼミ終了後、駅前の居酒屋で飲み会。
●7月2日(金)
 一日をつぶして三重松阪の耳鼻科まで。検査結果は、予想通り、アレルギー反応はまったく出ず。可能性としては、自律神経による血管運動性鼻炎というのが考えられるそうだが、それだと季節要因が説明できず、医者も首をひねるばかりである。
●7月3日(土)
 眼下のマンション建設現場から沸きあがってくるアスファルトの臭いが不快きわまりない。頭痛がしてくる。
 東進衛星予備校のテキスト原稿執筆。長編構想など。
 夕方から連れ合いとmovix六甲で『スパイダーマン2』の先行ロードショー。満席でかろうじて一番後ろの端の席が取れる。
 夕食はオーキッドコート「去来花」。
 帰宅後も飲んで、3時就寝。
●7月4日(日)
 不摂生で下痢。蒸し暑さも重なり、終日だるし。
 新企画A、構想。
 『大原則1』、新課程版のまえがき原稿執筆、送付。
 夜、衛星で『新選組』。毎週見ているわけではないが、けっこう面白い。そういえば、子供の頃「鴨の河原に〜、千鳥が騒ぐ〜」という歌が流行ったなぁ。
 節制して、酒飲まず。
●7月5日(月)
 早朝起き、電車で出校。
 授業で大陸移動の話をするため、南米大陸とアフリカ大陸の地図をOHCで見せるのだが、その1枚を見せるだけのために、機器をケースから取り出し、接続し、スイッチ操作が大変。こんな使い勝手の悪い教室も、今時珍しいのではないか。
 帰路、JR弁天町駅ホームで立ち食いそば。
 夜、熱力学の勉強、東進衛星予備校の準備、など。
●7月6日(火)
 早朝起き、生ごみ出し。
 急にヤボ用が生じて、電車で須磨へ。須磨寺駅前商店街のそば屋で昼食。なかなかにうまい、当たりである。
●7月7日(水)
 朝から車で出校。
 帰路、買い物やらクリーニングの受け取りやら雑用。
 東進衛星予備校収録準備。毎日、1回分ずつの予習である。計画的にやらないと直前にパニックになるのである。
 講談社Mさんより『力学ノート』、また重版の連絡。ありがたいことである。
●7月8日(木)
 暑い。35度近くになったようだ。
 車で出校。
 帰宅後、SFマガジン連載『プラトンの洞窟』、一気に仕上げて送付。あと3回で終わりと決める。
 東進準備。
●7月9日(金)
 いつもの「のぞみ」で上京。
 車中、鷲田『学者の値打ち』。この人には『大学教授になる方法』でお世話になった。
 東進衛星予備校、収録2コマ。終了後、東進ブックスの新課程改訂版について打ち合わせ。教科書改悪に合わせて、拙著も改訂しなければならない。文科省に呪いをかけることはできないものか。
 夜、酒も飲まずにホテルのベッドにもぐりこんで読書。タブッキ『遠い水平線』。須賀敦子という人は、こういう翻訳をしていたのだと今頃になって知る。
●7月10日(土)
 収録2コマ。
 いつもの「のぞみ」で帰宅。最近は、阪神の選手にも会わないし面白くないなぁ。今年は成績が悪いから、また夜行バスに戻ったのかも知れない。
●7月11日(日)
 連れ合いと夕立の中、参議院選挙。
 前回もそうだが、テレビ朝日のいいかげんな予測(というか最初から決めてかかった偏向報道)には辟易する。おまけに田原聡一朗が耄碌している(これは後日、週刊誌が奥さんの病気のせいだと報じていた。じっさい8月には亡くなられてしまった。)。中村敦夫は落選すると、みどりの会議をほったらかしにしてしまった。菅は民主党など辞めて、環境政党を起こせばどうだ。ジーゼル規制さえしてくれれば一票を投じるぞ。
●7月12日(月)
 朝から長編構想。
●7月13日(火)
 朝から雑用。
 夕方より連れ合いとmovix六甲、『デイ・アフター・トゥモロー』。
●7月14日(水)
 会議のため出校。入試課に高校訪問のための資料を受け取りに出向くが、先週末に電話で念を押しておいたのに何も用意できていない。がっくりである。意気に感じないことはなはだしい。
●7月15日(木)
 来週の長距離ドライブに備えて車の修理出しなど雑用に明け暮れる。
●7月16日(金)
 梅雨も明け、ムカデおじさんが薬剤散布にやってくる。秋にもう1回必要ですかね、と聞いたら、いや今年はこれで大丈夫ですよ、と愛想なかった。1匹しか見つからなかったので、面白くないのであろう。消防士が火事を好きなのと同じ理屈である。彼はムカデを愛しているのだ。
●7月17日(土)
 新企画A構想。
 夕方より連れ合いの「アマデウス」ライヴ・コンサート。もう4回目で、だいぶ馴染んできたようだ。
 聴きにきてくれた友人ご夫妻とリンク「豆乃屋」で打ち上げ。帰宅後、連れ合いと飲みながら、DAT録音を聴く。なかなかのものだ。3時半就寝。
●7月18日(日)
 東進テキスト、執筆。
 ヤボ用で、長岡京と須磨を駆け巡る。長岡京の家は今年から前妻に管理を託しているが、まかせ切りというわけにもいかない。
●7月19日(月)
 明日からの四国行商の準備に追われる。貴重な時間を割いての出張で、しかも大幅に足が出ることは明白。こんな仕事を他の先生に頼むわけにもいかない、入試委員だから仕方ないのである。しかも意気に感じないのである。開き直って楽しむしかあるまい。
●7月20日(火)
 早朝起き、ごみ出しをしてから、神戸出発。
 六甲山を越えて山陽道から明石海峡大橋を渡り、淡路島縦断、鳴門大橋をわきめもふらず通過し、徳島道へ。途中、サービスエリアでたらいうどん。自販機にはゆずドリンクなどというものもある。
 夕方、高知到着。今日はむろん仕事はしない。桂浜に直行。太平洋のなんという青さ、広大さ。なるほど竜馬のような男が出るわけだ。
 宿ははりまや橋近くの「城西館」。かつおのたたきに酒は滝嵐。やってくる仲居さんは、みんな色は黒いが気立てはやさしい。満足である。
●7月21日(水)
 朝から、高校5校を回る。その間、連れ合いは楽器店でピアノの練習。あ、言い忘れていたが、もちろん連れ合い同伴である。一人侘しく行商などやってられませんよ。
 ある高校で、ぼくをハッシー君だと気づいた先生がおられ、サインを頼まれる。ふつう行商などというのはケンモホロロなものなのに、感激だなぁ。商売そっちのけで、物理の話をしたのであった。
 午後、高知城をはじめ名所旧跡を訪れている暇は残念ながらない、連れ合いをひろい、一路、松山へ。夕闇迫る頃、道後温泉着。「大和屋本店」。温泉に浸かり、旅館内にある能舞台を見物したあと、夕食は個室で懐石料理。贅沢であるなぁ。どうせ足が出るなら、思い切り遊ぼう。
●7月22日(木)
 連日の猛暑である。四国の空は焼けるように暑い。松山市内を6校回る。これでノルマは達成だ。連れ合いを楽器店でひろって、一路、しまなみ海道を経て、尾道へ。ここは旅館が取れず、崖の上に建つビジネス・ホテル泊。車が通れるのかというような道を辿り、昨日までとはうって変りうらびれた感じである。物の怪にでもとり憑かれるのではないかとおっかなびっくりであったが、チェックインすると、設備は古いがまずまず良心的で一安心。窓からは尾道全体が一望できる。
 さっそくロープウェイで下界に下る。落ち着いた街だが、日本の地方都市の悩みがここにもある。人が少なく料理屋やレストランがまともに開いていないのである。やむなく若者向きの店でパスタを食って時間をつぶしてから、舶来居酒屋「暁」を目指す。
 先代がやっているときには、作家・俳優・芸能人などが押しかけた著名なバーである。洋酒に一家言持つものとして、尾道まで来てここを訪れない手はない。店内には、今東光など、連れ合いが名前も知らない著名人たちの写真がびっしりと貼ってある。最近では、片岡義男、北方謙三などが来るらしい。先代が集めた約5000本の珍しい洋酒が、骨董品のように棚に並んでいる。現店主は、二代目らしい温厚な紳士で、はじめての我々にも親切に話をしてくれるのであった。数杯飲んだが、バーボンのハーシュ・リザーブ16年がことのほかうまかった。
【写真は、連れ合いの携帯で撮った店頭】


●7月23日(金)
 午前中、駅前の喫茶店「芙美子」でお茶を飲み、林芙美子の住居跡を見る。芙美子という名前は、きつい女が多いというのは偏見だろうか。その元祖である。極貧から世に出るには、並のきつさでは叶わない。仕方のないことであるが、付き合いたくない女である。
 山陽道を一路、神戸へ。午後3時、無事帰宅。
●7月24日(土)
 ある出版社からの執筆依頼。どうするか、決めかねる。
 講談社Mさんから今度は『電磁気学ノート』重版の連絡、ありがたいことである。インターネットで理学書売り上げランキングを見ると、わが単位が取れるシリーズは、ベストテン入りしている。なかなかの健闘である。
 『橋元流解法の大原則1』の新課程版が出来上がり届く。
●7月25日(日)
 東進衛星予備校の新課程向きのテキスト執筆。
 読書『ベネチァの歴史』
 久しぶりに酒を断ち、早寝。
●7月26日(月)
 早朝起き、荒ごみ出し。
 新企画A構想。
 午後から、試験監督のため出校。前にも書いたグチであるが、ぼくは試験をしないのである。なのになぜ試験監督をしなければならないのでせうか。
 帰宅後、長編構想。
●7月27日(火)
 きょうは早朝から試験監督。やれやれである。
 試験の合間に、ゼミの学生が来。科学史関係の本、数冊を貸す。
 帰路、ミドリで電話子機のバッテリー購入。シャープ製なのだが、接触が悪く充電が充分に出来ないのである。シャープは故障ばかりである。
 ビールを飲みながら野球。阪神4連敗、もはやこれまでだな(こんなことを言うのだから、ファンではないのである)。
●7月28日(水)
 長編構想。
 午後から出校、きょうも試験監督。入試課に四国の出張報告を提出するが、ねぎらいの言葉もなし、まるで役所の応対である。やれやれ。
●7月29日(木)
 新企画A構想。
 連れ合いの実家からアップライト・ピアノが搬入される。Kreuzerというメーカーのアンティーク家具にもなりそうな骨董品である。リビングに置く。阪神ピアノのおっちゃんとは5年来のお付き合いで、馴染みになってしまった。その仕事ぶりは神業である。
 夜、オーキッドコート「去来花」で連れ合いのディナー・コンサート。今日は力が抜けて素晴らしい演奏だった。テレビに出ている名前だけの演奏家などよりずっと上手いぞ。そろそろプロとして一人前だな。あとは知名度を上げることだ−−と身内のエールを送る。
●7月30日(金)
 またまた台風が接近、風強し。
 新聞によればフランシス・クリック博士死去とのこと。20世紀がどんどん歴史になっていく。ぼくも化石になる前に、一花咲かせなくては。
●7月31日(土)
 新企画A構想。来月よりいよいよ執筆開始である。
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