橋元淳一郎の月例報告57回目、2005年2月分 
 2月は、懐かしい人たちと何かと縁のある月でした。昔を振り返るのではなく、未来に向かって前進あるのみと言い聞かせているのですが……。
●2月1日(火)
  寒波襲来で道路凍結。あちこちで車が立往生している。
  ごみの回収車も、我々の地区にはやってこれず積み残しである。
  「熱力学ノート」執筆。
●2月2日(水)
  積雪こそないが、今日も気温は零下。
  車で出校。会議。
●2月3日(木)
  「熱力学ノート」執筆。
  自動車税の2重払いの払い戻しの小切手の期限が迫っているので、指定の銀行へ。2重に取った役所が悪いのに、平日の貴重な時間帯に、なんでわざわざ電車に乗って、使ったこともない銀行に出向かねばならぬのか。銀行は空いていて5分もかからぬと思いきや、窓口の行員は免許証を提出させて、奥の部屋にこもったまま10分以上も出てこない。この顔が悪人に見えるか?金額はわずか7500円、さっさと換金しろ。銀行というところは、善良な市民には厳しく、悪徳詐欺は知らぬ顔でまかり通させる所と見える。
●2月4日(金)
  「熱力学ノート」執筆。
  午後から住吉駅前でヘアカット。ついでに「きゅん」で梅干し購入。dvd4枚購入。青の車を洗車。
  夕食後、歯が染みる。
●2月5日(土)
  「熱力学ノート」執筆、4章まで脱稿。
  夜、読書、プラトン「国家」。今の日本、ソフィストはマスコミに溢れているが、ソクラテスはどこに潜んでいるのだろう?
●2月6日(日)
  連れ合いの友人二人が来駕。
  夕食はみんなで岡本の「ラ・ポスト」。ワインに酔って、帰宅後、すぐ就寝。
●2月7日(月)
  試験監督のため朝から出校。
  割り当ては2コマだったのに、非常勤の先生が都合が悪くなったというので1コマ押しつけられて、3コマ連続。ぼくは試験をしないのに、なんでぼくばかりが余分に不毛な仕事をしなければならぬのか、ぷんぷん。
  学生時代の小林稔先生の「力学」の試験が懐かしいなぁ。先生は黒板に問題を板書すると、「では頑張ってください」と言って教室を出ていったものだ。
  鼻風邪で体がだるい。パブロン。
●2月8日(火)
  「熱力学ノート」執筆。
  歯科へ。染みるのは歯茎なのだが、今日はそこは触らずかぶせ物だけ。大丈夫なんだろうなぁ?
  阪大教授、西田幾多郎記念館館長の哲学者、大橋良介さんから、ホームページを作ったのでご覧あれとのメール。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/madaago/
いまや哲学者も時代の波には逆らえないのである。京大教養部の学生だった頃、当時の法学部の名物教授、猪木正道に正々堂々と議論を挑んだ姿が懐かしい。将棋を指した仲なんだけれど、昔も今も、太刀打ちできない先輩である。
●2月9日(水)
  風邪気味がつづく。
  仕事にならず、確定申告の準備など。
●2月10日(木)
  子供も咳がひどく小児科へ連れていくが、狭い待合室にインフルエンザらしき大人・子供がたくさんいて、これではわざわざ感染しに行っているようなものである。
  夜、シアターでビール、コニャックを飲みながら「007」など。午前3時、就寝。これでは治るものも治らない。
●2月11日(金)
  朝のごみ出しはさぼり、8時半まで寝る。
  「熱力学ノート」執筆。
  連れ合いは、いつものごとく車で演奏会を聴きに。
●2月12日(土)
  終日、「熱力学ノート」執筆、5章脱稿。
  連日、パブロン。
●2月13日(日)
  「熱力学ノート」執筆。
  確定申告の準備。
●2月14日(月)
  甲南大学理学部へ佐藤文隆先生を訪ねる。穏やかな日和なので自宅から歩く。
  先週「遊びに来ない?」とメールをもらったときは、ちょっと緊張した。何しろアインシュタイン方程式の解の発見者にして、京大名誉教授・湯川記念財団理事長・元基礎物理学研究所長・元日本物理学会会長・ノーベル賞候補選考委員(これは勝手な憶測)の、あのブンリュウ先生である。助手とゼミを受けていた院生の関係とは違うのである。
  不義理を重ねて、直接お会いするのは20年ぶりくらいである。「あんまり変わってないね。甲南もあと1年かと思うと、会いたくなってね」から始まり、大学のこと、書いている本のこと、家族のこと、量子コンピュータのこと、物理の懐かしい先生たちのこと、ノーベル賞関連のこと、などなど、とりとめもなく2時間ほど話しこんで、さあ、本題は?と思ったら、何もなかった。いかにもブンリュウさんらしいなぁ。日本の宇宙物理の宝なのだから、長生きをして頂きたいものである。
●2月15日(火)
  会議のため朝から出校。やれやれである。
●2月16日(水)
  風邪はすっきりしない、歯は染みる、おまけに下痢で、終日気分すぐれず。
  それでも「熱力学ノート」執筆。東進衛星予備校、収録準備。
●2月17日(木)
  東進予備校、収録準備。
  振り込みなどの雑用のため、銀行、郵便局を歩きまわる。
●2月18日(金)
  いつもの「のぞみ」で上京。
  車中、レム「高い城」。昼食はいつもの水了軒「八角弁当」。
  収録前から体が疲れているので、ユンケル皇帝液。収録2コマ。
  夕食は東急百貨店上の「まつや」鍋焼きうどん。神田の老舗の店らしいが、これで1050円はちょっと高いよな。関西では通用しませんで。
●2月19日(土)
  収録2コマ。
  東京駅でおみやげに、浅草「満願堂」芋きん、を買ってかえる。
  車中、ビール・日本酒を飲みながら、P.D.ジェイムズの新刊「殺人展示室」。じつはジェイムズの隠れファンである。もう彼女も80歳のおばあちゃんである。
●2月20日(日)
  講談社のpr雑誌「本」の3月号に安野光雅さんが、「たのしいひな祭り」と題して、懐かしい人のことを書かれているのを読む。詩人で編集者の村松武司さんのことである(ホームページ「隠れバー《別室》」を読んで下さい http://homepage3.nifty.com/jun-mizuho/ )。
今月は、昔の人がよく登場する(あ、ぼくにとってということで、現役バリバリの方ももちろんおられます)。ぼくも歳をとったということだ。
  「熱力学ノート」執筆。
  夜、シアターで「水爆と海底生物」など、昔のSF映画。
●2月21日(月)
  先月修理したばかりなのに、衣類乾燥機がまた動かなくなる。修理依頼の電話などで予定外の時間をとられる。
  学生の後期レポートの採点。数百枚中、「優」は数枚。
  夕刻、歯科へ。麻酔をかけて歯茎の肉の下の歯石取り。緊張して終わると顎がガクガクである。たかが歯垢取りで、大袈裟な患者だなと思われているのだろうな。
●2月22日(火)
  レポート採点、来年度シラバス提出などのため出校。
  帰路、コープリビングで雑品買いだめ。スリッパ、車ホイール洗剤、石けん、ごみ袋、ハンドソープ詰め替え、GUMうがい液、ゴム手袋、ソフラン、トイレクイックル、キッチンタオル、ボールペン、シャープベンシル、歯磨き、電池、電球、などなど(順不同)。
  夕食は、久し振りに家族で「和楽」。
●2月23日(水)
  乾燥機の修理に来る。プリント回路の部分をごっそり入れ替えて終り。あっけないことである。
  「熱力学ノート」執筆。
●2月24日(木)
  一般入試Bの試験監督・採点のため出校。一般入試だけでA、B、Cの3回もやるのである。昨今、どこの私大もそうであるが、弱小大学はこれでも足りない。やれやれである。
  帰宅後、「熱力学ノート」執筆。
  久し振りに酒を飲まずに寝る。
●2月25日(金)
  早朝起き、ごみ出し。
  水道のメーターの部分に水が一杯溜まっていることを、お隣の奥様が教えてくださる。とりあえず、水をかい出して様子を見ることにするが、生活するというのは何かと面倒なことだ。
  「熱力学ノート」執筆、6章脱稿。
  午後から、会議のため出校。やれやれ。
●2月26日(土)
  雪である。
  水道メーター確認、やはりまた水が一杯になっている。水道局に電話。幸い午前中にやってきてくれて、パッキングの劣化と判明、すぐに修理。役所にしては、珍しく手際がよかった。もっとも、水道局がもたもたしていては、市民生活は成り立たない。
  連れ合いは、雪の中、長岡京のレッスンと墓参りへ。
  H2Aロケットの打ち上げが、やっと成功。当事者でもないのにホッとする。理系の研究者や技術者は、安い報酬でよくやっていると思う。それに比べてソフィスト政治屋たちは……などと今更いっても始まらないか。
●2月27日(日)
  家族で万博公園へ梅見に(梅といえば近所の岡本が「本場」なのだが)。
  太陽の塔を懐かしく見る。ぼくが子供の頃は、ここは兎狩りをした森だった。千里ニュータウンもなければ、名神高速道路もなかった。高級外車が通う茨木カントリークラブだけはあったが、庶民の生活はそんなものとは無縁。それでも野山を駆け巡る飢えたべビーブーマー餓鬼たちの目は輝いていた−−と思うのも、また歳のせいだろうか。
●2月28日(月)
  「熱力学ノート」執筆。
  このところ毎週、歯科へ。きょうは膿んだ歯茎の裏の歯垢を取ったため、少々痛し。化膿止め・痛み止めの薬がでる。
  2月は逃げる。今年も6分の1が終わりました。
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