「久美沙織伝説」初LP(1985)
ジャケット拡大画像 コロムビアレコードです。歌ってます。作詞作曲もしてます。わはははははは。
 なんでそーゆーことになったのかというと、これより先に、小室みつ子ちゃんが『うさぎは歌をうたわない』という本を書き、同じタイトルでレコードも出したんですね。
そのレコーディングを「見に来る?」といわれて「いくいくー」とついていったらディレクターさんに「あんたもやりたい?」と聞かれちゃった、と。
『水曜日』事件が「孤児がもらわれてウンヌン」神話だとするとこっちは典型的な「ともだちにくっついてオーディション会場にいったら自分がスカウトされた」みたいでしょ?
すっかり「えっ、このわたしが歌手に? シンガーソングライターに?」と思ったら実はそれは、おーきな勘違いで。
久美も小説家だよ、丘みきってやつとか、けっこう人気あるんだよ、と優しいみっこが話を通してくれていたので「あなたの作品も、イメージレコードにしたいですか?」と聞かれたんだったのです。
ところが思い切り勘違いをしたわたしは、こともあろうに「作詞作曲」をしてもっていった(笑)
ディレクターさんも困ったでしょうが、バブルっつーかなんつーか、まぁいいやと思ってくださったのか。
こーゆーことになってしまったんですねぇ。なにしろわたし楽譜はかけないし、楽器も演奏できないんですから。
(ヤマハ音楽祭に応募できなかったのはそのせいです)
「アカペラ」で「歌」だけ収録したテープを差し出しちゃうんですから、若いってすごいわ。
ササジマサユキさんと、奥様と、みっこと、三人ものプロに助けてもらってレコーディングしました。
ともかくもしっかりとカタチになったんですから青春のいい思い出です。
ひそかに、「これが売れて、何曲かヒットして、歌手になって、ベストテンに出て……
きゃー紅白? きゃー武道館?」と思っていましたが、もちろんそんなことにはまったくならず。
しかし、二度め(丘みきのイメージアルバム)もアリだったし渋谷のエッグマンで「コンサート」までやらしてもらったんですから、楽しかったっすー!
ノート拡大画像 レコーディングスタジオで、ミキサーのかたに「どこの童謡歌手がきてるのかと思った……」といわれたわたしの「一番普通な歌声」はフェアチャイルドのYOUちゃんか、矢野顕子さま的な「きんきん声」です。
少しトーンを押さえぎみにすると、南沙織または竹内まりあモドキのややハスキーですね。
(聖子ちゃんのモノマネもいちおーできますがそんなにうまくないです)
その後、カラオケというものが流行って、ひとまえ(少人数)で歌ってみる経験をして「こういう修行を積んでからのレコーディングやコンサートだったらもっとうまく歌えたのに」と
思ったものです。
声帯も筋肉ですから、鍛えるとどんどん声って出るようになりますから。

ちなみに作詞作曲の才能は、あまりないなぁと自分でも思います。
それでも、自分の作品の「イメージアルバム」を自分で作らせてもらえたのはほんと幸福でした。
『三流女子高生のテーマ』とか、ビッグバンドで演奏したりすればけっこうカッコいいと思う……
うぬぼれ?