西島三重子FanClub 「風」物語
第2話 新FC「風」の誕生
 「スタッフギャング」からもらった旧FC「イメージ通信」の会員名簿を見たら
400人近かった。この名簿を元に、再結成のお知らせを出して新たに会員募
集をしたところ約250人集まった。
 ★年★月★日「新宿ルイード」でのマンスリーライブ終了後に折井さんがス
テージに立ち、新FC結成の趣旨を述べて、協力できる人は残ってくださいと
呼びかけたところ、折井さん、のちに会長になる荒木彰二さんと私を含めて7
人いた(男性5人、女性2人)。
 折井さんは、その中の男子大学生を会長に選び、副会長には以前アイドル
グループのFCスタッフをやったことがあるという女性、ししてその友達(女性)
には会計を担当してもらうことにした。私は折井さんが会長になるものと思って
いたが……。会長に指名された大学生は私には何となく頼りない感じで、果た
してうまくいくのか一抹の不安を覚えたが、ひとまず見守ることにした。
 1週間後、スタッフの初会合が渋谷の喫茶店で行われた。ここでは雑談に終
始し、今後の運営についての話は進展しなかった。
 第2回目の会合には会長が姿をみせなかった。やむなく会長ぬきのメンバー
で具体的な運営プランを話し合った。副会長の女性は、かつての経験から自分
なりの活動方針をテキパキと話し、まとめた。さすが経験者は違うと感心した。
とりあえず、すぐ会報を出そうということになり、1号・2号は副会長と会計担当
の女性たちの手によって、あっという間に出来上がった。
 新FCの名はみーちゃんのネーミングで「風」、住所はご好意により東芝EMI邦
楽制作本部制作5部気付を使わせていただくことにした。
 ここにファン自ら運営する西島三重子ファンクラブ「風」が誕生し、新たに船出し
た……。
第3話 早くもFC解散の危機

 ここまでは順調に推移したかにみえたが、早くも暗雲が漂い始めたのだ。
 折井さんと私は新FCが無事に結成されたので、予定通り一ファンに戻って
いた(折井さんは当初からそのつもりだったようだ)。
 ところが数カ月後、スタッフの1人である荒木さんから、女性2人が脱退した
という電話が入った。さらに、もう1人のスタッフもすでにやめたという。各自忙
しい仕事を持っているのでやむを得ないとは思ったが……。そして、肝腎の会
長たる大学生は何と連絡先不明で、その後も二度と我々の前に姿を現すこと
はなかった。結局、その段階で最後まで残ったスタッフは荒木さん1人だけに
なってしまったのである。
 こんな状態では、FC「風」が解散するのはもはや時間の問題だった。
 しかし結成直後に解散ではみーちゃんもがっかりするだろうし、東芝EMIの好
意もむだにしてしまうし、何よりも新規募集した会員に解散しましたとはとても
言えない。どうしたらよいかと折井さんに連絡をとったが、特にフォローする話
が出なかった。
 もともと私自身はFCに関わりを持とうという気持ちは少しも持っていなかった
し、できればスタッフなどやりたくないのが本音だった。普通の一ファンでいる
ことが一番気楽だと思っていた。
 しかし、上に書いたようなわけで、せっかく結成されたFCをこのまま消滅させ
るわけにもいかないと考え(何というすばらしい責任感!?)、やむなく一人取
り残された荒木さんを補佐することに決めた。
 しばらく2人で会報作り等を細々とこなしていた。だは、2人だけではいかに
も手薄だで、活動も思うに任せない現実だった。
 そんな折、86年12月23日の草月ホールでのコンサート終了後、荒木さんか
ら、FCの仕事に協力したいという人が現れたと連絡が入った。青野さんという
女性美容師の方で、そのコンサートを見て感激したという。早速スタッフになっ
てもらった。
 ところが数カ月後、青野さんから、郷里の北海道に帰らなくてはいけなくなっ
た旨の知らせが入った。「向こうへいっても協力するからね」と言ってくれたが、
その後、何の音沙汰もなかった。
 こうして再び荒木さんと2人だけのスタッフになってしまった……。
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