西島三重子FanClub 「風」物語
第4話 井上さんの参加で3人体制に
 FC「風」がついに住所不定になってしまった。今まで使わせていただいた
東芝EMIの宛先が事情により使えなくなったのだ。
 早急に何とかしなくてはと考え、苦肉の策として東京・神田にある私書箱
センターを見つけ、とりあえず3カ月間の契約で申し込んだ。私書箱センタ
ーとは、郵便物を自宅に送られては困る場合に利用する、秘密の宛先的
性格のものだった。幸い、通勤途中の場所にあったので、会社の帰りに4
日おきぐらいに途中下車して郵便物を受け取った。
 そうこうするうち、荒木さんが東京・東村山市の実家を出て、すぐ近くの東
大和市内にアパートを借りることになった。これを機会に、このアパートをFC
「風」の本拠地とし、ドアに「西島三重子FC風事務局」との表札も出した。
 これでやっと所在地が安定した。
 そのころ、会員からのお便りで「何か手伝うことがありましたら……」と言
ってくれる方が何人かいて有り難かったが、いずれも地方在住の会員だっ
た。
 ある日、「FCのお手伝いをしたいんですが……」というお便りをくれたのが
都内在住、それも当時の私と同じ中野区に住む井上拓夫さんで(ちなみに
みーちゃんも中野区だ)、願ったり叶ったり、まさに渡り舟であった。井上さん
は何とみーちゃんがデビューする前(?)からのファンとのこと。会報を見てい
て、スタッフが苦労しているのが手に取るようにわかったという。
 こうして3人の最強スタッフ(?)としてしばらく続くことになる。
 事務局といっても、ただ住所があるだけで、特別なものがあるわけではない。
それしいテーブルはあるにはあるが、コピー機もない。お知らせを出す時は、
荒木さんが勤務先*の手動写植機で打ち、コピーは(今もそうだが)コンビニ
でしていた。

  *何を隠そう、荒木さんはFCのために転職してしまった人である。それま
でトラックの運転手だったのだが、FCのスタッフになり会報を作る都合上、文
字・書体とか写植とか印刷関連の知識が必要になった。で、いったん会社をや
め、手動写植の学校に半年通い技術を身につけ、写植・版下の会社に就職し
たのだ。この話を聞いた時,私は驚いた。あきれた。と同時に感動した。なぜ
って、FCのため、ということはみーちゃんのためにそこまでしてしまったのだか
ら。みーちゃんの歌には、人をそこまでさせてしまう底知れない何かがあるとい
うことの典型例だと思う。

 みーちゃんのニュースが入ると緊急召集をかけ、集まった。
 仕事の関係でたいてい夜集まり、遅くまで営業している喫茶店やデニーズ
等で宛名書き・封書作りをやることになる。最初は手書きで250人分書いてい
たが、時間がかかるし、手は痛くなるし大変だった。これではたまらんとワー
プロを購入した(もちろん自費で)。この出費は痛かったが、名簿を入力したの
で宛名書きはしなくてすむようになったし、のちのディスコグラフィーや会報作
りにも大活躍してくれた。
 ある時は井上さんの勤めている会社に、社員が帰った頃をみはからって侵
入(?)し、朝まで作業したこともあった。しかし、よくバレなかったものである。
みーちゃんのプリクラ(^o^)/
みーちゃんのテレホンカード
第5話 みーちゃんからの依頼

 FC「風」スタッフとして参加してからの私の楽しみは会員からのお便りだっ
た。概して励ましの手紙が多かったが、なかにはかなり手厳しいお叱りの手
紙もあり、その内容は実にさまざまだった。もう一つの楽しみは、誰よりも早
くみーちゃんに関する情報が入ることだ。これだけはスタッフとしての唯一の
特権なので許していただきたい。
 事務局では、いろいろな物を作ったり企画した。みーちゃんの写真入りテレ
ホンカード、みーちゃんのイラストをプリントしたTシャツ・トレーナーを作ったり、
ライブの写真をシールにして配布したりした。ほかにスキーやバス旅行も企て
たが、実現には至らなかった。
 何より会員の方に好評だったのは、全シングル・アルバムの曲名を詳細にリ
ストアップした「西島三重子ディスコグラフィー」だった。作る時は相当な時間を
かけて校正に校正を重ねたつもりだったが、出来上がって見たら1カ所だけ曲
名が違っていたのを発見し目が点になったことを覚えている(お持ちの方へ:ど
こだかわかりますか?)。
 好評ついでに「全歌詞集」も作ろうということになり取りかかったが、これはデ
ィスコグラフィー以上の労力を要し、なかなか進まなかった。何しろ膨大な曲数
であり、印刷・製本にかかる費用も考えると、とてもFCの手に負えるものでは
なかった。(でも企画としてボツになった訳ではない。いつか……という気持ち
は持っている)
 また、お便りのなかで以前から気になっていたことがあった。地方の会員の
方からのもので、コンサートのお知らせが来ても実際には行けない、ぜひ地方
にも来て欲しいという、それはそれは切実なお願いのお便りだった。そのお気
持ちは重々わかるが、これは実現しにくい。みーちゃんの音楽活動はどうして
も東京近辺に限られてしまうからだ。

 その頃(88年)、みーちゃんが我々にお願いがあるので会って欲しいという連
絡が入った。きっとgood newsだろうと小躍りして、指定された新宿・喫茶室滝
沢に行った。
 面と向かってじかに話したことがなかったので少々緊張したが、みーちゃんは
とてもきさくで、とても芸能人とは思えない人だった。一杯1000円のコーヒー代
を我々の分まで出してくれて感激した。
 話の趣旨は、シングルで出した「カフェ・ニセ」をPRするため、いま有線放送局
回りをしているが、会員の皆さんにもぜひ有線へのリクエストをお願いして欲し
いということだった。もちろんすぐに会員にお知らせを出し、我々も片っ端から有
線リクエストをしたのは言うまでもない。
 しかし、新人歌手ならともかく、みーちゃんのようなベテラン歌手が有線放送局
回りをしなくてはいけないとは……。

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